宮城野部屋の歴代親方や女将の和田紗代子について。場所や一門は?


宮城野部屋の詳細が気になっていませんか?

歴代親方や女将・和田紗代子さんの支え、新たな場所への移転、そして所属する伊勢ヶ濱一門について解説します。

宮城野部屋の過去から現在に至るまでの軌跡を追いながら、その魅力と相撲界における独特の位置づけを探っていきましょう!

宮城野部屋とは?


宮城野部屋は伊勢ヶ濱一門に属する相撲部屋です。

現在は元横綱・白鵬こと13代宮城野が師匠を務めています。

所属力士としては北青鵬や伯桜鵬、炎鵬などが知られています。

「鵬」の一字が四股名に含まれているのも特徴です。

※参照:炎鵬ってどんな力士?出身や白鵬との関係について

宮城野部屋の歴史は元横綱・吉葉山に始まり、白鵬などの数々の関取を輩出してきました。

しかし、11代宮城野が白鵬のために金銭を渡したとされる事件があり、協会の品位を傷つけたとして師匠の交代を勧告されるトラブルも発生しています。

他にも12代宮城野と13代(白鵬)との関係悪化や北青鵬の暴行事件など、良くも悪くも話題が絶えない部屋と言えるでしょう。

宮城野部屋の歴代親方


宮城野部屋の歴史は、その歴代親方たちによって形作られてきました。

各親方は、独自の経験と哲学を部屋にもたらし、力士たちの成長と相撲文化の継承に大きく貢献しています。

彼らのプロフィールを見ていきましょう。

8代:宮城野潤之輔(43代横綱・吉葉山)

「宮城野部屋」の名称が初めて登場したのは、8代宮城野こと43代横綱・吉葉山の時代からです。

吉葉山は北海道出身の大相撲力士で、戦後の苦難を経て力士として頂点に立ちました。

戦地で負傷した経験もありましたが、復員後には精力的に稽古に励み、その姿勢が称賛されました。

1950年の関脇での13勝は、当時の最多記録として知られています。

師匠としては後輩の指導に熱心であり、日本相撲協会の理事としても活動しています。

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9代:宮城野泰孝(小結・廣川)

9代宮城野泰孝は、小結・廣川として活躍した後、8代の死後親方として宮城野部屋を引き継ぎました。

先代の弟子である竹葉山を東前頭13枚目まで育て上げましたが、1989年に52歳で亡くなりました。

10代:宮城野泰孝(前頭13・竹葉山)

10代宮城野泰孝(同名異人)は、前述した竹葉山です。

竹葉山は福岡県出身。幼少期から相撲を始め、中学卒業後に入門。

現役時代の体格は176cm、121kgで、突きや押しを得意としていました。

彼は十両での優勝経験もあり、横綱・白鵬こと13代宮城野の師匠でもあります。

11代:宮城野正浩(十両2・金親)

11代宮城野こと金親は神奈川県横浜市鶴見区出身で、現役時代は北の湖部屋に所属していました。

1985年に初土俵。92年に十両に昇進するも幕内昇進は叶いませんでした。

引退後は9代宮城野の娘婿となり「宮城野」を継承。この時10代は「熊ヶ谷」に名跡変更しています。

2007年に13代宮城野(白鵬)が横綱に昇進した際は形式的に師匠として扱われており、事実上の師匠である10代宮城野が「育ての親」と位置付けられ、話題にもなりました。

2007年、11代宮城野は八百長を週刊誌に告白するのですが、これが協会から問題視され、「熊ヶ谷」こと10代宮城野と名跡を交換する処分を受け、部屋の師匠を降りています。

その後、マネージャーへの暴行容疑で逮捕されてしまい、日本相撲協会から解雇処分を受けています。

12代:宮城野誠志(前頭13・竹葉山)

名跡の交換により、10代宮城野が「12代」として再び師匠に復帰します。

12代の業績としては2012年に審判委員を1年務めた点が挙げられます。

一方、弟子である13代こと白鵬とは、14年の大島部屋解散時に起きたモンゴル力士の受け入れ拒否を巡り、亀裂が生じたとする向きもあります。

その後も関係修復されず、13代は独立を目指し内弟子を抱える一方、12代はその内弟子に指導できない状況にあったと言われています。

※参照:白鵬の所属部屋と親方の変遷、宮城野親方との関係について

22年には「間垣」を襲名していた元白鵬と名跡を交換。「間垣親方」となります。

翌年には相撲協会を退職し、「間垣」は白鵬の内弟子である石浦に譲っています。

13代:宮城野翔(69代横綱・白鵬)

13代宮城野、すなわち69代横綱・白鵬は、現役時代に数々の記録を打ち立てた後、宮城野部屋の親方としても力士たちの指導にあたっています。

彼の経験と実績は、弟子をはじめ角界のあらゆる関係者にとって、計り知れない価値があると言えるでしょう。

一方で、その言動には賛否両論あがるのも事実。

24年には弟子の北青鵬の暴行事件が報じらており、今後の部屋運営に一抹の不安ものぞかせます。

※参照:北青鵬ってどんな力士?国籍や中学高校、所属部屋や白鵬との関係は?

宮城野部屋の女将:和田(白鵬)紗代子


宮城野親方の女将はどのような方なのでしょうか。

元横綱・白鵬こと宮城野親方の妻である和田(白鵬)紗代子さんについて、以下で解説していきます。

和田(白鵬)紗代子さんのプロフィール、経歴

和田(白鵬)紗代子さんは1984年に徳島県で生まれました。

中学時代にはローラースケートフィギュアの選手として世界大会で優勝するなど活躍。

その後徳島文理高校を卒業し学習院大学に進学しています。

紗代子さんの父、和田友良さんは資産家で、地元・徳島県の実業家です。

友良さんは和田林業という企業の経営者である他、元横綱・朝青龍の後援会会長も務めていました。

紗代子さんが宮城野親方と知り合ったのは、こういった背景があったのでしょうね。

宮城野親方との馴れ初め:18歳の時パーティーで知り合う

宮城野親方と紗代子さんの馴れ初めは、親方が18歳の時に開かれたパーティーでした。

当時、宮城野親方は大関。紗代子さんは学習院大学に通う女子大生でした。

親方は一目惚れし、紗代子さんも初恋という甘酸っぱい出会いだったようです。

その際、元横綱・日馬富士が2人の写真を撮るなど、仲を取り持ったとのこと。

その後、宮城野親方は20歳でケガをし、その時に紗代子さんが支えたことで、結婚を決意しました。

また、宮城野親方と和田(白鵬)紗代子の間には子供は4人います。

名前はそれぞれ愛美羽(あみう)、真羽人(まはと)、美羽紗(みうしゃ)、真結羽(まゆは)で、「羽」という字が含まれてるのが特徴です。

長男の真羽人くんは相撲に打ち込んでおり、「白鵬杯」にも頻繁に出場してるとのこと。

将来も父親と同様、角界に進むのか注目ですね。

宮城野部屋の場所:22年8月に移転した


宮城野部屋の場所はどこにあるのでしょうか。

実は、宮城野部屋は最近移転しています。

以下では宮城野部屋の場所について、移転前と移転後それぞれを解説します。

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移転前の場所:墨田区八広

移転前の宮城野部屋の場所は、墨田区八広(やひろ)にありました。

宮城野部屋が八広に居を構えたのは2015年9月。

もとの場所は墨田区緑だったのですが、建物の耐震構造を理由として移転を果たしいてます。

この八広(やひろ)は一丁目から六丁目まであり、地理的には墨田区の北端に位置しています。

町域は荒川を挟んで対岸に葛飾区四つ木と接し、京成電鉄が走っています。

人口は2017年時点で2万2000人ほど。小中学校の学区や交通のアクセスも整っています。

移転後の場所:墨田区東駒形

宮城野部屋は22年8月、墨田区東駒形に移転しました。

この前月には12代宮城野親方が相撲協会を退職すると共に、元横綱・白鵬が13代宮城野を襲名しています。

心機一転の移転と言えそうですが、実際のところは所属力士の増加と言われています。

移転先の建物は元関脇・高見山の12代東関親方が所有しているもので、12代東関の自宅もあるとのことです。

さて、移転先の東駒形という地域ですが、墨田区の西部に位置しています。

人口は2017年時点で約6,632人で、四つの丁目から成り立っています。

イチジク製薬や小森コーポレーションなどの企業がこの地に施設を有しており、過去には浮世絵師として知られる葛飾北斎が暮らしていた事でも知られています。

宮城野部屋の一門:伊勢ヶ濱一門


宮城野部屋が所属している一門は伊勢ヶ濱一門です。

最後に、伊勢ヶ濱一門の概要や、この一門に所属する部屋についても見ていきましょう!

伊勢ヶ濱一門とは

伊勢ヶ濱一門は、大相撲界における部屋の一門(グループのようなもの)の1つです。

一門とは、複数の相撲部屋が集まったグループであり、現在は5つの一門が存在します。

歴史的には立浪部屋の分家である立浪部屋が起源で、春日山部屋からの分家独立もありました。

2016年には一時期3系統となりましたが、後に伊勢ヶ濱一門に再統合されました。

現在の一門の総帥は元横綱・旭富士こと伊勢ヶ濱親方で、名称の由来にもなっています。

伊勢ヶ濱一門に所属している部屋はどこ?

伊勢ヶ濱一門は、24年2月現在、以下の6つの部屋で構成されています。

・伊勢ヶ濱部屋
・安治川部屋
・大島部屋
・宮城野部屋
・浅香山部屋
・朝日山部屋

このうち、安治川部屋の親方は元関脇・安美錦で、かつては伊勢ヶ濱部屋に所属してましたが分離独立という形で分かれています。

※参照:安美錦の兄や結婚相手の妻について。子供や伊勢ヶ濱親方との関係は?

また、大島部屋の親方はモンゴル出身の元関脇・旭天鵬。

この一門の特徴として、宮城野親方や大島親方、横綱・照ノ富士や元横綱・日馬富士など、モンゴル出身力士が多く所属している(た)という点が上げられると言えますね。

残る浅香山部屋は元大関・魁皇、朝日山部屋は元関脇・琴錦が親方を務めています。

実力者揃いの一門と言っても過言ではなさそうですね。

まとめ


宮城野部屋は伊勢ヶ濱一門に属し、現在は元横綱・白鵬が13代目師匠として力士たちを指導。

妻である紗代子さんが女将として部屋を支えています。

特徴は所属力士の四股名に「鵬」の字が多用される点です。

この部屋は、元横綱・吉葉山から始まり、多数の関取を輩出。

しかし、金銭問題や力士の暴行事件など、論争も少なくありません。

2022年には部屋が墨田区東駒形に移転し、新たな歴史が刻まれています。

総じて、宮城野部屋の歴史や人物関係には、複雑なドラマがあると感じますね。

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