高安ってどんな力士?出身地や中学、所属部屋の変遷について解説!

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高安関についてどのようなイメージがありますか?

大関経験者なのに一度も優勝していない。
「初の平成生まれの関取」として注目されていた。
大相撲トーナメントで2度優勝している…

そんな高安関がどのような力士なのかを、出身地や所属部屋の変遷も含め、わかりやすく解説していきたいと思います。

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高安関ってどんな力士?初の平成生まれ関取の実力とは!


まずは高安関がどんな力士なのかを、簡単に見ていきましょう。

高安関の来歴について

1990年生まれの高安関は、2010年に十両に昇進した際「平成生まれの初の関取」として話題になりました。

その後も平成生まれとしては初の結びの一番を体験するなどで大きな話題を提供し、多くの2ケタ勝利や三賞、金星を獲得。

そして17年の5月場所終了後、大関昇進を果たしました。

昇進後の17年度は1度も二桁勝利には届かなかったものの、18年度は4度にわたり10勝以上の勝ち星をあげており、着実に実力を高めている様子が伺えてました。

しかし19年9月場所で大関陥落。その後は三役や幕内上〜中位の番付をキープしています。

大関経験者でありながら、これまで幕内最高優勝を果たしたことがない力士でもあります。

一方で大相撲トーナメントには19年、20年の2年連続で優勝した経験も。

プライベートでは20年7月に演歌歌手の杜(もり)このみさんと結婚。

22年3月には第二子が誕生するなど、夫婦仲は良好なようです。


高安関の取り口や対戦成績について

高安関の取り口は、突っ張りや押し相撲、そして左四つからの寄りや上手捻りを得意にしているオールマイティな力士だと言えます。

22年11月時点での決まりての傾向は押し出しが23%、上手投げが15%、突き落としが13%となっていました。

対戦成績としては、横綱・照ノ富士や大関・貴景勝とはそれぞれ13-12、9-10と互角に闘えています。

正代には9-17と負け越してる一方、御嶽海に対しては20-9と大きく勝ち越しています。

引退済みの力士としては、元大関・豪栄道の武隈親方には19勝13敗と勝ち越しており、2013年7月場所に初黒星を喫するまで初顔合わせから6連勝を記録していました。

その一方で、差し身の上手い相手には苦労している様子が伺えます。特にもろ差しからの速攻を得意とする元関脇・栃煌山の清見潟親方は苦手としており、対戦成績は8勝20敗と大きく負け越していました。

元横綱・白鵬の宮城野親方に対しても2-21と、なかなか勝ち星をあげることが出来なかった経緯もあります。


高安関の出身についてわかりやすく解説


続いて、高安関の出身について幅広くご紹介します。

出身地や出身中学、「高安」姓の発祥地などを見ていきましょう!

出身地:茨城県土浦市

高安関の出身地は茨城県の土浦市で、父は日本人、母はフィリピン人の家庭に生まれました。

土浦市出身の力士は高安以外にはいないようですが、地元の方は後援会を開くなど、高安関を積極的に応援しているようです。

また、元AKB48の秋元才加さんは、お互いが力士/タレントになる前からの幼なじみの間柄だそうです。秋元才加さんも母親がフィリピンの方なので、もしかしたらこの辺りで繋がりがあったのかもしれませんね。

かつては秋元さんが高安関の応援のために本場所を観戦している事が報じられた事もありました。2016年の9月場所の9日目に高安関は照ノ富士関との熱戦の果てに勝利を収めましたが、この時、秋元さんはゲストとして中継を担当していました。

幼馴染が来ていたのでいつも以上に頑張った・・・のかは分かりませんが、観戦してる側としてはそうとしか思えない程の取り組みを見せていただいたと感じましたね。

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出身中学:土浦第一中学校

高安関の出身中学は地元の土浦第一中学校です。

土浦第一中学校といえば、女優の栗山千明が卒業したことでも有名ですね。

小学時代から野球を続けいていた高安関ですが、中学でも野球部に所属。

センターとして活躍していました。

その後は「自分の身体1つで稼いでみたい」という考えから角界入りを志し、父の勧めもあって中学卒業と同時に田子ノ浦部屋(当時は鳴戸部屋)に入門した経緯があります。

「高安」一族の出身地:大阪府八尾市

ちなみに「高安」という四股名は、本名の高安晃、つまり苗字に由来します。

これは高安関のご両親が、「『高安』という苗字は珍しい苗字なので、広く知らしめたいので新たに四股名を付けないで欲しい」と先代の鳴門親方(元横綱・隆の里)に申し出たのが受け入れられたためだそうです。

この「高安」という苗字の発祥地ですが、大阪府八尾市だと言われています。

八尾市には山本高安町(やまもとたかやすちょう)という町名があり、また近鉄大阪線には高安という駅もあります。


高安関の所属部屋:名称が変更されている


最後に、高安関の所属部屋についても解説していきます。

入門時の所属部屋は鳴戸部屋

中学卒業後、高安関は元横綱、隆の里が運営する鳴戸部屋に入門します。

当時の鳴戸部屋は元関脇・若の里の西岩親方や、後に横綱・稀勢の里となる二所ノ関親方が所属していました。

こうした兄弟子がいる環境の中で、高安関は入門時から番付を順調に上げていく事ができています。

しかし2011年に当時の鳴戸親方が死去。

部屋の名称も田子ノ浦部屋に変更されますが、その背景には何があったのでしょうか。

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現在は田子ノ浦部屋に所属

高安関の所属部屋が田子ノ浦部屋に変わった背景には、年寄名跡の継承という事情が関係しています。

元横綱、隆の里こと鳴戸親方が2011年に急になくなった際、元幕内、隆の鶴が部屋を継ぐことになりました。

しかし相撲部屋を継ぐには年寄名跡が必要になり、元隆の鶴は鳴戸の名籍を継承しようとしたのですが、この名籍の所有者である元隆の里夫人との折り合いがつかず、やむなく田子の浦の名籍を取得したという事情があるのです。

一見ややこしいですが、高安関らが所属してい田子の浦部屋はかつての鳴戸部屋だったと考えれば大丈夫です。

22年11月現在、高安関は田子ノ浦部屋の部屋頭を務めています。

西岩親方や二所ノ関親方は既に自身の部屋を持たられており、若い衆の面倒を見る必要がある立場と言えるでしょう。

余談ですが、2000年から2012年までにはこれとは別の「田子ノ浦部屋」という相撲部屋があり、碧山関らが所属していました。

年寄名跡と相撲部屋のルールについては以下の記事で解説しているので、興味があれば一度ご覧になってみて下さいね。

※参照:一代年寄とはどのような制度なのか。認められる条件とは?


この記事のまとめ


高安関がどんな力士なのかを、出身地や所属部屋の変遷も交えご紹介しました。

まとめると、以下のようになります。

・高安関の出身地は茨城県土浦駅、中学は土浦第一中学校である。
・「高安」姓は大阪府八尾市がゆかりの地として知られる。
・中学卒業後、元横綱・隆の里が運営する鳴戸部屋に入門した。
・現在は田子ノ浦部屋に所属。二所ノ関親方や西岩親方は兄弟子にあたる。

大関経験者ながら、幕内最高優勝は未だ成し遂げられていない高安関。

今後の発奮に期待したいですね!

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2 Responses to “高安ってどんな力士?出身地や中学、所属部屋の変遷について解説!”

  1. 山中光春 より:

    大関になったら、しこ名を変えるといいと思います。素晴らしいしこ名をつけてください。

  2. 山中光春 より:

    高安関へ

    相手に上手を与えないで、前に出れば、必ず勝ちます。残りの相撲を頑張ってください。

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