行司の苗字について解説。木村庄之助と式守伊之助の違いとは?

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行司の苗字と名前と言えば、
木村庄之助と式守伊之助の2人を
思い浮かべる事は多いかと思います。



では、行司の苗字はこれ以外にはないのでしょうか。



この記事では、行司が名乗る苗字について。


および、木村庄之助と式守伊之助の
違いについて調べてみました。
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行司の苗字は「木村」と「式守」以外にはあるの?



大相撲における行司と言えば、
木村庄之助と式守伊之助の2人を思い浮かべる事が
かなり多いのではないかと思います。


では、こうした行司の苗字
「木村」と「式守」以外には存在しているでしょうか。


江戸時代までは、
相撲司家の宗家である吉田司家の他に、
全国に「行司家」というものが多数存在しました。


例えば、現在残っている木村家と式守家の他に、
五条家・吉岡家・尺子家・一式家・岩井家
木瀬家・鏡山家・長瀬家・服部家などと、
その他多数の行司家がありました。



しかし、現在は、木村家と式守家しかなく
行司は相撲部屋に所属する形を取っているので、
一門や部屋によって、
木村家か式守家かが既に決まっています。


ですから、
入門時にどこの部屋に入ったかによって、
木村家と式守家のいずれを名乗るかが
この時点で既に決まる事になります。



行司も力士と同様に、
入門当初は自身の本名を名乗ることが多く、
年を経て経験を積むにつれ、
先輩の行司名を名乗る事が許されます。


そして更に経験を積み重ねると、
昔からある由緒正しい行司名、例えば、
「木村容堂」「式守錦太夫」などに代表される
多数ある行司名跡の中にある行司名を
名乗る事が許されるようになる訳です。


そして、そのまま三役格行司まで進み、
その後、立行司の式守伊之助、
木村庄之助と順に昇格していくことになります。

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行司の最高位「立行司」と、木村庄之助と式守伊之助の違いとは?


行司の最高位は立行司格であり、
この立行司は行司の横綱のようなものです。


そして、
行司の東の横綱とも言われるのが「木村庄之助
西の横綱が「式守伊之助」という具合になります。


木村庄之助になるには、式守伊之助を経て、
木村庄之助が空席になった場合に、式守伊之助が
次の木村庄之助に昇格するという仕組みになっています。


2015年3月場所で37代目の庄之助が引退し、
その位を襲名できる者がいないため、
現在、木村庄之助は空位となっています。



なお、木村庄之助の持つ軍配の房は紫、
そして装束も紫の菊綴じを着用しています。


そして、左腰には短刀を、
右腰には印籠を下げています。


行司の横綱こと木村庄之助ですが、
代々伝わっている軍配が2本あるそうで、
1本には表裏それぞれに


知進知退 随時出処
冬則龍潜 夏則鳳學


と記されているのだとか。


もう一方は白檀で出来ており、その各面に、
牡丹と唐獅子の彫金が施されているそうです。


なお、行司は軍配を右手で持つのが原則なのですが、
木村家はその握り方が手の部分が下になります。



これに対し、式守家の軍配の握り方は、
手の向きが木村家とは逆向きになるという
違いが見られます。


また、通常、木村庄之助以外の行司は
1日2番を裁くことになっていますが、
庄之助のみ、本場所においては、
結びの1番のみを裁くことになっています。



これに対し、式守伊之助の方は、
三役格行司が昇格して伊之助を襲名します。


式守伊之助の軍配の房は紫白、
装束も紫白の菊綴じを着用し、庄之助と同様に、
左腰には短刀、右腰には印籠を下げています。


伊之助が裁く番数は、三役格行司以下と同様で、
1日2番の取組を合わせています。


また、式守伊之助にも、
代々受け継がれてきている軍配が1本ありますが、
そこに記されている文字の読み方は不明だそうです。


※追記:2019年1月13日
2017年の冬巡業における、40代式守伊之助のセクハラ問題で不在が続いた立行司ですが、今年の初場所から41代式守伊之助が立行司となる事になりました。先代の伊之助は軍配差し違え等の問題がありましたが、こうした事が起らないよう、頑張って欲しいなと思いますね。

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まとめ:行司の苗字:木村と式守の違いについて


以上のように、
現在の行司家名は木村家と式守家のみであり、
その最高格の立行司が、
木村庄之助と式守伊之助となります。


この二者を比べると、庄之助の方が格が上になり、
両者の着衣や持ち物、所作には、
⇧⇧で解説した通り微妙な違いが見られます。


相撲を観るにあたり、式守伊之助や
今は名乗る者がいない木村庄之助にも
注目して見てみると、何か新たな発見があったり、
相撲の異なる面が見えてくるかも知れませんね。

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One Response to “行司の苗字について解説。木村庄之助と式守伊之助の違いとは?”

  1. 土獏 より:

    行司名ですが大阪相撲、京都相撲入れるとを木村、式守以外の名前も明治、大正まで残っていましたね。京都は吉岡が有名です。有名なのはは吉岡一学。大正の声とともに消滅。大阪相撲は岩井家が残っていましたね。(昭和の初めに東京と合併消滅)

    ご存知かもしれませんが明治の中期ごろまでは木村家と式守家は全く別で、それぞれのトップが庄之助(松翁ってのもいるけど)、伊之助です。わずかですが庄之助の上に来た伊之助もいます。(明治6年ごろ、第6代伊之助。唯一庄之助の後に裁いた。番付面では他にも庄之助より上の伊之助も二人いたかな?)

    木村家の行司さんが式守家の行司さんの養子になり、両家を名乗ったのが始まりで、伊之助から庄之助になります。そのご伊之助から庄之助になるのが一般的になります(例外もありますが。)一時は玉之助→伊之助→庄之助でした。(昭和初めから30年代初めぐらいまで)

    紫房になったのも明治時代からのようですね。江戸時代は朱房が最高位。力士も横綱は地位ではなかったので、明治の初めごろまでは力士の最高位は三役。そこで行司さんも最高位は三役格で大関に匹敵と認識されていたようです。(大関も三役)。明治時代は足袋に草履を許された朱房行司にさらに紫房が免許されたようです。伊之助になったから紫とはならなかったと思います。

    初代梅ケ谷の天覧土俵入り(明治17年)を先導した木村庄三郎」は今でいうと立行司格(当時立行司という概念はなかったかもしれない。)ですが錦絵を見る限り朱房ですね。たぶん明治中期以降立行司が発明されたと思いますが、庄之助」、伊之助以外の立行司や立行司格も結構います。木村庄三郎、木村玉之助、木村瀬平、木村誠道、木村進など。

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