豊山(小柳)ってどんな力士?「豊山」と名乗った力士もまとめて解説

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2017年5月場所に新入幕入りを果たした豊山関。

「誰?」「昔活躍した力士でしょ?」と感じられた方も、「時津風部屋所属の小柳」と言えば「なるほど」と思われるのではないでしょうか。

今回は、由緒ある四股名を受け継いだ事で話題になった小柳こと豊山関がどんな力士なのかを、過去に「豊山」という四股名を名乗った事がある元力士も含め、ご紹介します。

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豊山(小柳)関ってどんな力士?


まずは小柳こと豊山関がどんな力士なのか、簡単にご紹介します。

豊山関は新潟県出身。1993年9月産まれの現在23歳です。小学生時代から相撲をはじめる一方、中学時代は野球に打ち込んでいられた事もありました。高校、大学でも実績を重ね2016年に三段目付出しとしてデビュー。所属しているのは卒業した東京農業大学の相撲部出身者が多く所属している事で知られる時津風部屋です。その後は連続して勝ち越しを重ね、16年九州場所で十両昇進。そして17年5月場所では新入幕入りとスピード出世を果たしています。

もともとは本名の「小柳」という四股名で相撲を取っていましたが、入幕時に「豊山」と四股名を変更。この四股名は以下でも紹介する、新潟県出身で時津風部屋に所属した2人の力士が名乗った事でも知られる伝統ある名称です。これに対して豊山関は「新しい豊山像を作っていきたいと」と述べられています。

取り口としては突き押しに優れており、その力強さは自他共に認めるところ。本人も「前に出る圧力では誰にも負けない」とコメントしておられます。その一方で引いた相撲が苦手な点もよく知られており、今後の課題といった所でしょうか。初土俵から新入幕入りの間で負け越しの経験がないだけに、今後どれだけ勢いが維持されるかも注目したい所ですね。


初代「豊山」豊山鬼吉とは?


ところで、過去に「豊山」という四股名を名乗っていた力士はどのような方だったのでしょうか。一般的には14代時津風の「豊山」が知られているかと思いますが、これ以外にも「豊山」の四股名を名乗った力士は2人います。以下でまとめて見てみましょう。

まず最初に「豊山」を名乗ったのは1940年代後半~50年代前半に活躍した豊山鬼吉(ゆたかやま おにきち)です。46年の初土俵から4年後の1950年に「豊山」を名乗り、その3年後の1953年3月に入幕入りを果たすものの、幕内在位はわずか1場所のみ。そして、この年の9月からは四股名を「荒馬」と改めているため、「豊山」という四股名を名乗ったのは3年ほどでした。

翌年の引退後は一般企業での勤務、そして釧路市での市議会議員として議長職などを全う。2011年になくなる前年には野球とばく問題で揺れていた大相撲の現状を扱ったNHKの番組に出演していた事もありました。

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14代時津風・豊山勝男は元日本相撲協会理事長!


1962年には後の大関、そして日本相撲協会の理事長を勤めた豊山勝男(かつお)がこの四股名を名乗る事となります。新潟県新発田市出身で、大学は東京農業大学の相撲部で活躍。学生横綱として1961年に幕下付出しとして初土俵を踏み、その翌年には新入幕入りし、四股名を「豊山」と改めています。

その後も順調に勝ち星を重ね、翌年3月場所には大関昇進。1968年に31歳で引退するまで34場所その座を守り続けました。一方でけがの影響、また当時は大鵬の全盛期だった事もあり8回の優勝次点を経験するも幕内最高優勝は果たせず。12回の優勝次点の記録を保持するものの賜杯にまで手が届かなかったかつての稀勢の里関を彷彿させるものがありますね。

引退後は32歳の若さで日本相撲協会の理事に、そして1998年には理事長に就任。外国人力士の入門の規制強化や横綱審議委員会のメンバーに内館牧子氏を任命した事などで注目を集めました。また母校である東京農業大学相撲部の指導を熱心に行っている事でも知られ、同大の相撲部出身者のほとんどが時津風部屋に在籍するなど、後進の指導においても定評のある方です。

元小結・豊山広光は湊部屋の創設者


そしてこの14代時津風の弟子が、22代湊こと豊山広光(ひろみつ)です。師匠である豊山勝男と同じ新発田市、東京農業大学出身と非常に縁深い関係でした。師匠と同じく幕下付出しでデビュー。その後2年足らずで新入幕入りを果たし、1972年には小結に昇進。81年に引退するまで関取の座を長く守り続けてきました。

当時は北の湖-輪島の全盛期。特に輪島とは学生時代からのライバル関係で、通算対戦成績は豊山の8章12敗、また金星を4つ獲得するなど両者の取組みは高く注目されていました。一方の北の湖には21戦全敗するなど全く歯が立たず。他には四股の美しさ、あるいは初土俵から一度も休場せずに996回連続出場を果たした点を高く評価される事もありました。

引退後は1982年に湊部屋を創設。元幕内の湊富士(現在の湊親方)などを育てられています。また協会では勝負審判や副理事を勤め上げ、2012年に退職されました。

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まとめ


今回は小柳こと豊山関がどんな力士なのかを、過去に「豊山」という四股名を名乗った3名の元力士と共にご紹介しました。最後に「豊山」と名乗った力士をまとめてご紹介します。

・豊山鬼吉:最初に「豊山」の四股名を名乗る。引退後は市議会議員として活躍。
・豊山勝男:元大関。日本相撲協会の理事長として活躍。母校農大の指導にも貢献。
・豊山広光:14代時津風の弟子。最高位は小結で後に湊部屋を創設。
・豊山亮太:「小柳」から四股名を変更。新潟県出身で農大卒業後、時津風部屋に入門。


特に下3名は新潟県出身、所属も時津風部屋という共通点があります。この「豊山」という四股名が20年、30年後も受け継がれる四股名になっているように、豊山関には頑張っていただきたいですよね。

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2 Responses to “豊山(小柳)ってどんな力士?「豊山」と名乗った力士もまとめて解説”

  1. 深谷芳房 より:

    現在の豊山関へ何で押し相撲さか出来ないのか?組手をおぼいれば
    まだまだ星を上げると思うが、時津風親方はもう少し組手を教えたら(前まわし)取るやら、此のまま相撲取っていれば、最後は十両で引退? 新潟県人より がんがれ豊山 押し相撲ばかりじゃダメ

  2. 須田敏 より:

    花道下がる時のお辞儀は歩きながらでなく、止まってキチンとお辞儀するのがマナーです。

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