大相撲の地方巡業の内容は?歴史についても解説!

s_zyun1


大相撲には、年に6回行われる本場所の他に、
本場所のない時期に行われる
地方巡業といわれるものがあります。



この地方巡業では、
本場所さながらの取組も行われ、
例えば、仙台市で行われれば、
「仙台場所」などという名前がついたりもします。



そこでこの記事では、大相撲の地方巡業の内容や
その歴史についてまとめてみました。
スポンサードリンク

大相撲の地方巡業の内容とは?


大相撲の地方巡業の内容とは、
一体どのようなものなのでしょうか。


地方巡業は、力士の稽古の場であり、
相撲ファンとの交流の場でもあります。


ですから、この両者を満たす内容が、
地方巡業には盛り込まれています。



地方巡業の1日は朝早くから始まって
午後3時頃には終わりとなり、
次の巡業先へと移動することになります。


稽古は、早朝から始まり、
幕下以下の力士が8時半頃までに、
この後、10時半頃までが、
十両・幕内力士の稽古となります。


相撲ファンは、この稽古見学を通して、
力士の日々の精進・鍛錬の様子を
間近で感じ取ることになります。


稽古が終わった後には、楽しみな人気力士と
子供たちの稽古も行われます。


これは、見ている観客にとっても、
とても楽しく非常に場が和む一時ですね。


十両下位の力士の稽古時間には、
幕内の人気力士は、
他の場所でファンとの握手会を行い、
ファンと直の交流をしています。



11時頃から、土俵入り、
そして、実際の取組が、
下位力士たちから順に始まります。


巡業の開催場所出身の力士が登場すると、
その盛り上がりようは、なかなかのもののようです。


また、地方巡業ならではの
土俵入りがあります。


それは、絢爛豪華な化粧廻しをしめた力士が、
赤ちゃんを抱いて登場し、
高々と抱え上げるというものです。


この土俵入りによって、
会場の雰囲気は一気に和やかさが増します。


力士の土俵入りや取組の合間に、
巡業ならではの様々な催しも行われます。


初っ切り、相撲甚句、髪結いの実演、
相撲のことを紹介する相撲講座などが
行われるのです。


このように巡業では、
稽古・取組・ファンとの交流という3つのことが、
同時に行われている
のです。



後、地方巡業を行う目的ですが、
本場所を訪れられない全国の相撲ファンを大切にして、
相撲の更なる普及のため、そして、子供たちに夢を届け、
健全な青少年の育成をということにあります。


なお、日本相撲協会の中には、
「巡業部」という部門もあり、
本場所と同様に力を入れた興行の1つとなっています。


現在の巡業部長は元大関琴風の
尾車親方がその任に就いています。

スポンサードリンク


大相撲の地方巡業の歴史について


では、大相撲の地方巡業には
どのような歴史があるのでしょうか。


地方巡業の歴史は古く、1596年には
関西の職業相撲の組織に所属する10名の力士が
筑後国、今の福岡県へ巡業で訪れたという
記録が残っています。



現在の地方巡業の形態が出来上がったのは
江戸時代の中期頃なのですが、この時代から
昭和20年代までは一門別に分かれて、
行われていたそうです。


この頃は、まだ、本場所が年2場所しかなく、
一つの巡業が約半年にも及ぶ長丁場のもので、
その位置づけも今とはかなり異なっていたようです。


また、江戸時代には江戸や京都、大阪において
興行としての勧進相撲が行われていました。


この勧進相撲とは、お寺や神社の修理などのために
相撲を行い、その収益の一部を寺社の修理へ
あてる事を目的とするものであり、
現在、地方巡業の主催者を勧進元と呼ぶのは
この勧進相撲にもともとの由来があります。



これが昭和30年前半になると、
一門ごとでバラバラに行っていた巡業が
現在のまとめて行う形態へと変化。


そして1962年には初の海外巡業が
ハワイで開催されています。


また、1995年には地方巡業の主催者である
勧進元が日本相撲協会に契約金を払う事で
行われる「売り興行」だったものが、
相撲協会が主催する「買い興行」へと変化。


しかし、この巡業改革は上手くいかず、
再び勧進元主催の「売り興行」へ
戻したという経緯もあります。



そして現在の地方巡業ですが、
年6場所ある本場所が終わった後に、
力士全員が一つの団体として行動して、
本場所の周辺地域で主に巡業を行っています。


具体的には、地方巡業には、
春場所後に行われるのが「春巡業」
名古屋場所後には「夏巡業」
秋場所後には「秋巡業」
九州場所後に「冬巡業」という
年4回の巡業があります。

スポンサードリンク


まとめ:大相撲の巡業について


大相撲の地方巡業の内容は


・力士の稽古見学
・人気力士と子供たちの稽古
・土俵入り
・相撲のことを紹介する相撲講座


主にこのようなものがあります。


また、地方巡業の歴史は古く、
現在の巡業の基本的な枠組みは
江戸時代半ばには成立してました。


巡業は本場所とは違い、
ファンと力士との貴重な交流の場ですし、
力士にとっては、
欠かすことのできない稽古の時間となります。


本場所での観戦が難しい方にとっては、
地方巡業が、力士と間近に接する
絶好の機会となるでしょう。


ですから、本場所だけでなく、
巡業のスケジュールも忘れずに
チェックしておきたいものですね。

関連記事(一部広告含む)

One Response to “大相撲の地方巡業の内容は?歴史についても解説!”

  1. 井上 大心 より:

    初めてご連絡差し上げます。
    私、テレビ番組の制作をしておりまして
    視聴者の方から大阪府堺市に不思議な場所があると投稿をいただきました。
    道路の真ん中にお墓があるという内容でした。
    現地に行って墓石らしきものを見ると、
    明治初期や昭和初期に建てられたものでした。
    「若柳源蔵の墓」「若駒の墓」と彫られていたので
    近所に住む人に誰のお墓か聞いてみると
    彫られた名前の人は力士らしいということ。
    そしてもうひとつ意外なことはお墓と書いているが
    石碑みたいなモノであるということ。
    語ってくれた方のご先祖が当時堺市で巡業が行われていた時に、
    勧進元・タニマチ的なことをされていたそうで、
    その時に設置されたものらしいということ。
    ただ当時の史料などが一切残っておらず
    定かな情報ではないと。
    ただ道路の真ん中にあえて残されているモノなので
    当時は相当貢献された一門なのかと思い
    調べていたところ
    こちらのサイトにたどりつきました。
    歴史の所を拝見させていただくと、
    戦時中に力士たちは戦争に招集されて
    興行は一時衰退してしまった過去があると。
    もしかしたら戦争に駆り出された力士たちへの敬意として
    勧進元だった方が墓石のようなモノを建てられたのではと想像してしまいました。
    墓跡を設置した一族の方も話したことがどこまで真実なのか気にしており
    番組では出来る限りのことを調べて放送に結びつけたいと考えております。
    もし墓石にある名前の方を知っているのであれば
    お力を借りたくご連絡をいたしました。
    また名前は聞いたことがなくても
    相撲巡業の歴史に詳くて話が出来る片付けなど
    紹介していただけないでしょうか?
    ご連絡いただければ幸いです。

コメントを残す

サブコンテンツ
>
>
>

このページの先頭へ