角番の意味や角番大関の勝率について。優勝した力士はいるの?
相撲の世界では、何よりも「勝つ」ことが求められます。負け越すと番付が下がるからですが、大関の場合は2場所連続で負け越さない限り、その地位を失う事はありません。
ただ、1場所を負け越した、あるいは休場した大関は「角番大関」と呼ばれ、その地位を失うか否かの瀬戸際で戦う事になります。
角番の意味について、角番大関の勝率や角番から優勝した力士の存在を含めご紹介します。
角番の意味について解説。
角番とは、大関が本場所を2場所連続で負け越す事によってその地位から陥落するという意味があります。
※参照:大関昇進の条件は決まっている?その人数や年収も気になる!
この制度は昭和初年に確立した後、数回の改定を経て、現在の「陥落しても次の場所で10勝以上上げれば大関に復帰できる」という救済措置を含めた制度に落ち着いています。
ちなみに、陥落後の次の場所で10勝以上で大関復帰の規定が定まったのは1969年7月場所のことだと言われています。
大関が負け越しによってその地位を失うのに対して、横綱の場合は陥落する事はありません。
しかし、横綱の場合、勝てなくなったら「引退」という暗黙のルールがある一方、大関の場合は「陥落」で済むので、そういった意味では陥落の方がまだ救いがあるという気もします。
とは言え、陥落するかしないかではその後の様々なことが天と地ほども違ってくるのも事実。角番を迎えた大関が必死になるのは言うまでもない事でしょう。
ただ、この裏には様々な大人の事情(?)があるのも事実です。それを探ってみましょう。
角番大関の勝率について。大関互助会は本当か?
ここで取り上げたいのは、やはり角番大関の勝率でしょう。
角番を迎えた大関の勝率はどうなっているのでしょうか?
2011年1月場所後の調査では、
・角番大関141人の中で、勝ち越し者121人
・勝ち越し率:8割5分8厘
このように、非常に高いものになっています。
それだけではありません。
7勝7敗で千秋楽を迎えた角番大関は過去に10度(2015年5月現在)ありましたが、そこから負け越した大関はゼロ名。
なんと勝率10割です・・・。
角番大関の勝率は非常に高いと言うか、ある種の不自然さを感じさせずにはいられません。こうした角番大関の勝率を皮肉った「大関互助会」という言葉がありますが、こうした言葉が用いられるのも無理は無いと言わざるを得ない気がします(苦笑)
こうやってみると、角番は「敷居が高い(格が備わっていない、弱い)から角番を迎えた」というよりも、その場所の体調、あるいは勢いなどで負け越した大関がなってしまう「事故」のようなものとして捉えた方がいいかも知れません。そうすれば「勝率8割5部8厘」も説明がつきます。そもそも「弱い力士」「偶然勝っちゃった力士」は大関になれないのですから。
まあ「角番大関の7勝7敗」は別ですけどね(笑)
角番から優勝した力士はいるのか
それでは、角番から優勝した力士はいるのでしょうか。
角番でありながら優勝するという快挙を成し遂げた大関は、なんと7名もいます。
・貴ノ花(初代)
・小錦
・貴ノ花(2代目)
・魁皇
・千代大海
・栃東
・琴欧洲
特に栃東は、優勝した次の場所でも12勝3敗の好成績を収めています。また千代大海は、角番最多力士でありながら、角番からの優勝も経験している力士ということになります。優勝したのは2003年3月場所のこと。この優勝が千代大海にとって現役最後の幕内優勝になりました。
ちなみに、関脇に陥落したにも関わらず、次の場所で10勝以上を挙げて大関に復帰した力士も存在しています。三重の海、貴ノ浪、武双山、栃東の4人ですね。この中で三重の海は横綱昇進(1979年9月場所)まで果たしています。
大関陥落から再昇進を経て横綱にまで上り詰めたのは三重の海、ただ一人です。
まとめと感想
角番の意味や角番大関の勝率、角番から優勝した力士の存在についてご紹介しました。
角番大関の勝率が妙に高い事から「大関互助会」という言葉がしばしば噂されていますが、140人以上の角番大関の中で7名が優勝しているという事を考えると、そもそも弱い力士は大関にはなれないとも言えそうですね。
大関に昇進できる以上、優勝できるぐらいの力は元々あるのです。
それを考えると「角番」も、その場所の体調、怪我の具合、あるいは勢いなどで負け越してしまうという事故のようなものとして捉えた方がいいかも知れません。
2016年7月場所は、膝の状態が芳しくなく5月場所に2勝しかできなかった照ノ富士が角番を迎えます。状況は厳しいようですが、頑張って切り抜けて欲しいものですね。
※参照:照ノ富士の出身地や両親について!付き人の駿馬とは?