貴乃花親方の子供時代と現役時代の強さについて解説!

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平成の大横綱と呼ばれ、
その強さと父親ゆずりの甘いマスクで
国民的人気のあった貴乃花親方。


彼は一体どのような子供時代を過ごし、
いかにして大相撲の世界に入ったのか。


また、現役時代の彼の強さは
具体的にどのようなものだったのか。


将来、日本相撲協会理事長へ
就任する可能性も取りざたされる
貴乃花親方についての
これまでについて見てみましょう。

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貴乃花親方の子供時代について


まずは貴乃花親方の子供時代についてです。


貴乃花親方はよく知られているように、
父親は元大関の貴ノ花利彰です。

伯父も名横綱・初代若乃花という
相撲一家に生まれています

貴乃花親方は1972年、東京都杉並区に
貴ノ花利彰と元女優の花田紀子
(現・藤田紀子)との間に
次男として生まれ、同中野区で育ちます。

兄は元大相撲力士で
現タレントの花田勝(現・虎上)で、
かつては横綱・三代目若乃花として
弟と共に活躍していました。


子供時代の貴乃花親方ですが、
父親が引退する前は伯父が主宰する
二子山部屋、父親の引退後は
父親が主宰する藤島部屋に出入りするなど、
幼少期から相撲に親しんでいました。


1981年に父が大相撲を引退すると
貴乃花親方は本格的に
相撲に力を入れ始めたといいます。

小学5年生の時には、
わんぱく相撲の全国大会に優勝。

わんぱく横綱として土俵入りを行うなど
この頃から非凡な才能を見せていました。


父を慕って部屋によく遊びにきていた、
後の関脇・貴闘力となる
鎌苅忠茂少年と兄弟ともに親しく、
よく相撲を取っていたといいます。


また、小学校高学年の頃に
テレビの取材に応えて
父親の強さと素晴らしさを明るく話す
少年時代の映像が後になっても
取り上げられ続けた逸話も有名
です。

「貴乃花親方の子供時代」と言えば、
この映像とセットで語られることが
かつてはかなり多かったものです。


その後、相撲の名門・明大中野中に進学。

相撲部で武井美男監督から、
のちにまで通用する技術を
教わったと言います。


貴乃花親方の子供時代は
力士として将来の嘱望をされる
申し分のないエリートでした。

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貴乃花親方は現役時代どの程度強かったのか


では、現役時代の貴乃花親方は
一体どれ位強かったのでしょうか。

当時の彼は、過去の大横綱と並ぶ、
歴史に残る横綱と言えるほどの
強さを誇っていました。


幕内優勝22回で歴代6位。

それに加えて、々の最年少記録を
持っているのが大きな特徴
です。

優勝数は多いながらも、
晩成型だったために最年少記録とは
縁のない昭和の大横綱・千代の富士とは
対照的な早熟な力士だったと言えます。


中学卒業後、兄の若乃花とともに
父親の主宰する藤島部屋に入門。

入門当初から恵まれた体格から、
早期の出世が期待されていました。


その期待に違わず貴乃花は順調に出世。


19歳時の1991年5月場所では
幕内4場所目にして、
横綱・千代の富士を初顔で破り、
千代の富士を引退に追い込みました。


これは歴史的な一番にして、
大相撲の歴史の転換点とされます。


※参照:千代の富士の現在の近況について。


その後も順調に昇進。

1993年に大関、1995年には
横綱に昇進します。


そして、1994年から1998年の間が
彼の優勝のキャリアの大半が
作られた全盛期と言える時期でした。


この頃の強さは相当なものでした。


同時代に同程度の実力を持つ
横綱・曙と武蔵丸がいたなかで
これだけの優勝を重ねていることから、
千代の富士や大鵬などと並ぶ実力が
あった事は間違いはないでしょう。


その一方で、優勝回数としては
最終的にはもっと多くなると
現役全盛期時には予想されていましたが、
意外なほど早く30歳で引退したため、
この回数になっています。

千代の富士は30歳以降に
20回以上の優勝をしていますから、
貴乃花の力士人生がもっと長ければ
大相撲の歴史や現在の角界の状況は
もしかしたら変わっていたかもしれません。


とは言え、30歳までの
比較的短い活躍期間でありながら
これだけの優勝回数であることは、
全盛期の期間に限って言えば、
歴代横綱の中でもトップクラスの強さを
持っていた
と言っても過言ではないでしょう。


全盛期の強さのエピソードとして
幻の取り組み「呼び戻し」を決めた
前頭の剣晃との一番があります。

この「呼び戻し」は大相撲の中でも
最も豪快な取り組みの一つで、
力も技も相当なものを必要とし、
極めて稀にしか決まらないため、
「幻の技」
と言われます。


また、この技を過去に決めた力士は
横綱ばかりでに貴乃花の伯父の若乃花と
千代の富士が得意にしていました。


貴乃花は1997年3月場所9日目に
剣晃に対し呼び戻しを決め、
大きな話題になりました。

その後呼び戻しは、2013年に、
これも大横綱の白鵬が決めるまで
実に16年間も決まりませんでした。


貴乃花親方はこのように
記録にも記憶にも両方残る強さを
大相撲の歴史に刻印しています。

大横綱と言われた元力士の親方には
引退後、指導者としてだけでなく、
日本相撲協会を背負う人材になる事も
期待されるのが常です。

貴乃花親方にも当然、
将来の理事長を含め、
高い期待が寄せられます。

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この記事のまとめ


平成の大横綱と呼ばれ、
国民的人気のあった貴乃花親方。


父で元大関・貴ノ花利彰と
伯父で元横綱の初代若乃花の影響もあり、
子供時代から相撲に親しむとともに、
将来を嘱望される才能を早くから示していました。


※参照:貴乃花親方の父親と妻について。子供もいるの?


その後、大相撲入りしてからも
数々の最年少記録を打ち立て、
歴代6位の幕内優勝22回を誇るなど、
その強さも相当なものでした。

長くはない力士人生の上での
この実績は、全盛期の彼の強さの
凄まじさを示しています。


人気と実績のある貴乃花親方には
今後も日本相撲協会を背負う人材として
日本の相撲を守ることも求められます。

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