若の里の引退後の進路は?部屋や稀勢の里との関係について

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名古屋場所において、
西十両11枚目の番付で4勝11敗に終わり、
幕下陥落が確実となった元関脇若の里関。



今現在行われている夏巡業への参加を最後に、
正式に引退を表明すると言われています。



若の里関は、昭和51年生まれの、いわゆる
花の5・1(ゴーイチ)組と言われる関取で、
若貴ブームの真っ只中、史上最多の新弟子151人が
入門した平成4年春、初土俵を踏んだ力士です。



この記事ではそんな若の里関の引退後の進路や、
所属する相撲部屋、そして四股名が似ている(?)
大関・稀勢の里関との関係について調べてみました。
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若の里の引退後の進路は?


若の里関は、
場所後に引退を表明した旭天鵬関とは異なり、
故郷青森での夏巡業が終わってから、
引退発表するとされています。



気になる引退後の進路ですが、
既に取得している年寄「西岩」を襲名し、
後進の指導に当たる予定
です。


若の里関は、この年寄株を2005年5月に取得し、
その後、現在まで、元若ノ城や元隆の鶴、
元関脇玉乃島、そして元光法の4人に、
この年寄株を貸し出していました。


しかし、
第11代目西岩を襲名していた元光法が
今年7月より、元大関貴ノ浪の急逝により
空き名跡となった年寄音羽山を襲名し、
年寄西岩は空き名跡となっていました。


ですので、若の里関はこの年寄西岩を、
第12代目として襲名することになります。



なお、この年寄についてですが、
現役引退後も相撲協会に残り、
協会の役員や相撲部屋を開くために
必ず必要となってくるものです。


「年寄株」や「親方株」とも呼ばれています。



また、この年寄株を取得する条件の1つに、
日本国籍を有していることがあります。



この規定のために、外国出身力士が
引退後も相撲協会に残るために
日本へ帰化するケースをしばしば耳にします。



ちなみに、若の里関と同時引退となった
モンゴル出身の旭天鵬関も帰化されており、
相撲協会で後進の指導にあたられるようです。

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若の里の部屋と、稀勢の里の関係について


現在、日本人力士として、
優勝に最も近いのではと言われ続けている
大関・稀勢の里関ですが、
実は若の里関の弟弟子にあたります。


つまり、二人は兄弟弟子の関係にある訳ですね。



この二人は、元横綱隆の里が開いていた
鳴門部屋へ入門した力士で、
この鳴門親方に育て上げられました。


元横綱隆の里の鳴戸親方は、
別名「おしん横綱」とも言われ、
持病の糖尿病と闘いながら、
非常に苦労して横綱の地位をつかんだ力士でした。


その経験ため、親方になっても
非常に厳しい指導をされることで有名でした。


その厳しい指導の甲斐があってか、
稀勢の里関や若の里関を代表とする
計7人の関取を育て上げたこともあって、
力士育成の手腕はとても評価されていたようです。



しかし、2011年11月の九州場所直前に、
稀勢の里関の大関昇進を見届けずに、急逝されました。


その後、年寄鳴門の襲名をめぐり鳴門部屋は消滅し、
鳴門部屋は、部屋所属の元幕内・隆の鶴が
空き名跡であった田子ノ浦を襲名。


これによって鳴門所属していた力士の全てが
この田子ノ浦部屋へと移籍しています。



話は元に戻りますが、稀勢の里関にとって、
若の里関は目標とする力士だそうです。


若の里関の引退発表の際に
稀勢の里関がどのようなコメントを出すかも
注目したいところですね。

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まとめ:若の里関について


惜しまれつつ引退する若の里関は、
平成4年春に大相撲ブームの中鳴門部屋へ入門。


弟弟子には現大関・稀勢の里関がいて、
稀勢の里関は若の里関のことを
「目標とする力士」と述べられています。


今後はの進路は年寄西岩として、
元横綱隆の鶴こと鳴門親方親方から学んだことや
自身が力士として経験したことを活かして、
後進の指導・育成、相撲協会の発展のために
尽力される予定です。


若の里関、長い間ファンを楽しませて下さり、
本当にお疲れ様でした!

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