日本の相撲の歴史を簡単に解説。起源はいつなのか?

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今では日本の国技とまで呼ばれるようになった相撲。本場所や地方場所は必ずNHKで生中継され、毎回発表される番付を楽しみにしている方も多いでしょう。

しかし、その相撲がいつから始まり、今の大相撲の型式になるまでどのような歴史をたどってきたのか、知っている方は少ないのではないでしょうか。

今回は、相撲の起源から現代の相撲までの歴史を簡単に解説します。
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相撲の起源はいつなのかを簡単に解説!


相撲の起源をさかのぼると、古代にたどり着きます。古墳時代の埴輪や須恵器の出土品に、相撲が行われていた様子が描かれている事から、日本では古くからこの競技が行われていたと考えられています。

また、「古事記」に書かれている国譲りの神話が相撲の起源とされる事もあります。古事記の記載はあくまでも「神話」ですが、これが「日本書紀」になると、今度は神ではなく人間としての力士同士が相撲を行う姿が細かく描写されています。ここで記されている相撲は蹴り技も出てくるなど、打撃を主とするまさに格闘技。この様子は柔道の起源とも言われる事もあります。

奈良時代になると、三手の禁じ手である「突く、殴る、蹴る」や四十八手などの礼儀作法が制定されたと言われています。そして「明確な相撲の最初の記録」と言われているのが「総日本紀」の記載。この資料の中で、聖武天王が7月7日に相撲を観戦したことが「相撲戯」として残されているのです。


江戸時代までの相撲の歴史について


これが平安時代に入ってくると、各地から相撲人を集め、天王御覧の元に相撲が行われるようになります。やがてこれが「相撲節会(すもひのせちえ)」という公式行事になってくるのですが、平安時代後期には、宮廷行事としての相撲大会は終結します。

鎌倉時代になると、今度は武士のトップである源頼朝が相撲を奨励したとされ、御家人に相撲の強者がいたと残されてます。室町時代には、足利将軍家や諸国の大名たちが相撲見物を楽しむようになった他、戦国時代に相撲を奨励した織田信長によって土俵の原型が考案されたと言われています。

※参照:織田信長は大の相撲ファン?土俵を考案した説の真相とは!?


つまり、これまでの相撲には「土俵」はなかったのですね。


そして江戸時代に入ると、寺社建立修繕の資金集めとして「勧進相撲」が行われ、これが職業としての「大相撲」の始まりとされています。時の権力者である徳川将軍も、たびたび上覧相撲を開催していました。

都市が発展していくと、歌舞伎や人形浄瑠璃などと共に、地方都市においても相撲興行が行われ始めます。それに伴い多くの浮世絵師が相撲や力士の錦絵を制作した事によって、力士絵は浮世絵のジャンルとして確立されていきます。こうした力士絵は、現在にも受け継がれているのです。


明治時代~戦前までの相撲の歴史について


明治時代に入るとこれまでの人気が一転、相撲存続の危機が訪れるのです。

明治維新と文明開化に伴って東京都で制定された「裸禁止令」によって、東京の力士は罰金とムチ打ちの刑に処されてしまうのです。この時「相撲禁止論」も浮上しますが、その危機を救ったのが、明治天皇と伊藤博文でした。彼らの尽力で天覧相撲が実現され、やがて社会的にも相撲が公認されるようになったのです。

そして、東京相撲協会と大阪相撲協会が設立され、組織的な形態が確立されます。明治42年には、初の常設相撲場となる国技館が建設され、力士は今のように羽織袴姿で場所入りするようになるのです。

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大正に入ると、東京相撲協会と大阪相撲協会が解散し、大日本相撲協会が発足します。そして年4回の場所(1月:両国、3月:関西、5月:両国、10月:関西)の開催が定着してきます。
このころからラジオ放送も普及し始め、多くの国民が大相撲を楽しむようになり、また放送時間の関係で、仕切りの時間や制限時間が決まって来るのです。


しかし…大相撲が国民の娯楽となってきたころ、第二次世界大戦が起こるのです。

次第に第二次世界大戦の影響が大きくなってくると、国技館は陸軍に接収され、場所を移動して開催したりしたのですが、次第に力士も次々と徴兵され、終いには東京大空襲で両国国技館も各相撲部屋も全焼してしまうのです。


戦後の相撲の歴史について


戦後の大相撲の復興までは、さまざまな困難が襲います。

仮設された国技館は浜町公園に建てたことから、公園内の設置が問題になり、取り壊しに。さらに浅草蔵前に国技館を建設するが、消防署からの命令により鉄筋造りの国技館が必要と言われ、5年かけて鉄筋化を計ったのです。その間も大相撲年に3場所のペースで開催していくのですが、横綱の不成績が問題となり「横綱審議委員会」が発足した事も見逃せません。

その後、ようやく全国的にテレビが普及し始め、NHKでの相撲の中継が始まり、栃錦と初代、若乃花の活躍で栃若ブームが起こります。そこで、年間の場所数も増え、現在の年6場所(1月、3月、5月、7月、9月、11月)開催が定着するのです。


そして、2016年になくなった千代の富士が大活躍する時代がやって来ます。
この頃にはほとんどの家庭にテレビが普及していたので、千代の富士の大フィーバーが起こり、海外からも注目されるようになってきました。

昭和60年には今の両国国技館も完成。
この建物は、相撲界にとって大きな拠点の誕生と言える出来事でした。

※参照:両国国技館の歴史について。相撲以外でも使われてるの?


平成時代の相撲の歴史について


平成時代の相撲といえば、何と言っても若乃花・貴乃花の兄弟力士(若貴ブーム)ですよね。
この兄弟の祖父が初代:若乃花、父が大関:貴ノ花という血統が、昔の相撲ファンも呼び戻し、新しい相撲ファンを一気に増えたのです。そして、それまで少なかった女性ファンも増えるきっかけとなるのです。

また同時に、そして小錦、曙、武蔵丸といったハワイ出身の力士の活躍が目立つようになってきます。貴乃花は、曙を抑え22回の優勝を数えるも、その後、モンゴル出身の力士朝青龍や、白鵬、ブルガリヤ出身の琴欧州、エストニア出身の把瑠都など外国人力士の活躍が目立ち、平成18年の大関:栃東の優勝から10年の間、日本人出身力士の優勝はありませんでした。

そんな中、2016年の1月場所でようやく琴奨菊が優勝を果たし、日本中が喜びに湧き上がりました。これに加え、1998年依頼の若乃花以来の日本人横綱が誕生したら、より一層大相撲人気は上がるのではないかと感じます。


この記事のまとめ


今回は相撲の歴史を、古代までさかのぼりながら出来るだけ簡単に説明してきましたが、さまざまな問題を乗り越えて来ての現在の大相撲があるのだとつくづく感じます。

みなさまもまだ記憶に新しい八百長問題や野球賭博問題などで、一時期相撲人気がガタ落ちし場所が休場なった年もありましたが、横綱:白鵬の存在や、日本大相撲協会の頑張りや工夫により、今の大相撲ブームの「よみがえり」に繋がっているのですね。

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