錦木ってどんな力士?出身地や所属する伊勢ノ海部屋について!

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2016年の5月場所で新入幕をはたした錦木関

年齢も20代半ばとまだ若く、今後の活躍に期待がかかる平成生まれの力士です。


錦木関がどのような力士なのか、出身地や所属している相撲部屋を含めご紹介します。

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錦木ってどんな力士?わかりやすく解説!


まずは錦木関がどんな力士なのか、簡単に見ていきましょう。

錦木関は1990年生まれの力士で、中学卒業後に角界に入門しています。
そのため序の口からスタートし、三段目までは順調に進んだのですが、怪我などもある幕下時代がなんと29場所と、大変長いのです。

一方、2015年の夏場所に十両に昇進してから、わずか6場所後の2016年夏場所で新入幕入りを果たします。この早さは、長きに渡る幕下時代で地力をつけた為でしょうか。幕内2場所目の名古屋場所では勝ち越ししましたので、次の番付が楽しみですね。


ちなみに「錦木」という四股名の由来ですが、どうやら多くの方が名字をそのまま使っていると思われているようです。

ですが、実は「錦木」は名字ではあなく、文化年間に大関として活躍した力士「錦木塚右エ門」の由緒ある四股名をもらったものです。もっともこの四股名を名乗るまでは、名字である「熊谷」の名前で相撲を取っていました。

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錦木の出身地はどこ?


そんな錦木関の出身地岩手県盛岡市です。隣町の花巻市から角界に入った四ツ車(最高位十両八枚目で、今は引退している)の話を聞き、自分も関取になりたい決意したのだとか。
同じ時期に入門した力士には栃ノ心や松鳳山などがいます。


ちなみに岩手県出身の関取は四ツ車以来およそ6年ぶりで、さらに盛岡市からの関取は63年ぶりの関取誕生となります。

錦木関本人も、東日本大震災で被害に遭われた方に元気になってもらえる相撲をとっていきたいと、喜びと同時に東日本大震災の復興を願う優しい心を見せていました。


そして2016年の2月には、錦木関を応援するために岩手県後援会が設立され、激励会が行われています。錦木関個人の後援会の情報はないものの、所属する伊勢ノ海部屋の後援会の募集は行われているので、錦木関を応援されたい方は問い合わせてみるといいでしょう。

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錦木が所属する伊勢ノ海部屋について解説!


最後に、錦木関の所属部屋である伊勢ノ海部屋についてもご紹介します。

この伊勢ノ海部屋は時津風一門の所属で、江戸時代から続く伝統ある部屋として知られています。高度経済成長時代には横綱、柏戸が在籍していた事で知られる一方で、今の12代目伊勢ノ海親方(元北勝鬨)に至るまで、衰退や消滅を繰り返すなど、様々な困難を乗り越えてきた相撲部屋としても知られています。

この部屋の特徴と言えば、何と言っても四股名の付け方でしょう。多くの相撲部屋が「親方の現役時代の四股名の一文字を取る」といった形式を採用している中、伊勢ノ海部屋は所属力士一人一人に対して、江戸時代からの部屋伝統のしこ名を授け、命名の際には親方がその由来をきっちり教え込むというスタイルを取っているのです。前述した「錦木」という四股名の由来も、この伝統がもととなっている訳ですね。

ちなみに伊勢ノ海部屋といえば勢関が有名ですよね。錦木関は勢関の付き人だった時期が長かったため、個人的には錦木関は勢関の後ろに常に控えているというイメージがありました。当時、巡業先で勢関の情報を聞きたいが為に錦木関に近づき、お話させてもらった事を今でも思い出します。

なお以下の記事では、勢関について解説しているので、興味があればご覧になってみて下さいね。

※参照:相撲の勢の結婚や彼女の噂。実家や高須クリニックとの関係は?


この記事のまとめ


錦木関の力士情報を、出身地や所属する伊勢ノ海部屋を含めご紹介しました。

勢関の付き人が長かった錦木関。当時は黒縁のメガネをかけていて、いくらでも話の相手をしてくれる「ものすごくお話好きな力士だなぁ」といういうイメージを持っていました。今はもう幕内力士。もう、あんなに気楽に話しかけられなくなってしまいましたが、インタビューでいっぱいおしゃべりしてくれるだろうと期待しています。


※追記:2019年1月13日
この記事を書いたのが2016年8月なのですが、錦木関、今では幕内に定着できるだけの結果は残している印象があります。今後は金星や三賞受賞についても期待したいですね。確実に力を付けて三役昇進も実現して欲しいです!

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